2000-03-14 第147回国会 衆議院 法務委員会 第3号
これは封建時代から民衆に植えつけられた考で一朝一夕のことではないが、裁判所構成法が行はれて五十年の今日、なほこの思想の去らないのは、裁判所の方にも反省すべき多くのものが存する」」三宅正太郎先生の「裁判の書」でございます。こういうふうにやはり書かれておるんですね。 そこで、七ページにこういうふうにあります。
これは封建時代から民衆に植えつけられた考で一朝一夕のことではないが、裁判所構成法が行はれて五十年の今日、なほこの思想の去らないのは、裁判所の方にも反省すべき多くのものが存する」」三宅正太郎先生の「裁判の書」でございます。こういうふうにやはり書かれておるんですね。 そこで、七ページにこういうふうにあります。
特に裁判官というのは、これは昔、私どもの大先輩の三宅正太郎さんという「裁判の書」という名著をお書きになった裁判官の大先輩が、裁判官というのは独善に陥る危険があるということを戦前におっしゃっておられます。私もそれは、そういうことの危険がもともとある仕事だと思います。裁判の独立というのは、ひとりよがりになる危険と裏腹のところがあると思います。
外務省経済協力 局長 川上 隆朗君 外務省条約局長 柳井 俊二君 外務省国際連合 局長 丹波 實君 大蔵大臣官房長 篠沢 恭助君 大蔵大臣官房総 務審議官 小川 是君 大蔵大臣官房審 議官 兼内閣審議官 三宅正太郎君
被告人とされたのは関口政義という人で、これは電車の車掌ですが、被害者というのは三宅正太郎ですね。この三宅さんというのは魚屋さんです。この方が、電車がとまって、電車からおりて、そうして安全地帯の中央にこの方が立っていたわけですね。
三宅正太郎というまあ被害者ですね、安全地帯に立っていた。その人が大きい荷物を持っていた。つまり、それを持っておりてきたわけですが、電車の中へ入っておったわけですね、その人が荷物を持って。これは、大阪市路面電車乗客取り扱い規程第三十六条に、「乗客には膝に乗せることができる程度のものに限って車内に携帯させることができる。」、こういう規定があるんです。
ちょうどそのときに、私の尊敬する名裁判官と言われた三宅正太郎先生が、それこそ憤慨をしておられまして、事件の見通しについて、こんなことを検察庁がやるようであってはとても世はまつ暗やみであると言って悲憤慷慨されたのを私今も思い出すわけであります。
昔板倉重宗が、これは三宅正太郎氏の随筆の中にもございますが、刑事裁判官というものは、ほんとうにその人と取り組まなければならん。板倉さんが正しい裁判をやるために障子越しにひきうすをひいて、心を冷静にしてその人と面と向って裁判をやったという刑事裁判官の心意気を書いておられます。
これから間違いなくやりたいというので、監査役に三宅正太郎氏、重役に東寳の田辺前社長、東京銀行の重役、三宅君の同窓なども全部入れて、大いにやりたい。見ておると、相当派手にやるけれども、そういうやり方なら間違いないだろうと思つて安心しておつた。重役会なんかあるときに行つて、宴席に連なるということぐらいが関の山でありまして、そのほかには何もありません。
それから木村君の細君と江口君とは非常に濃い関係でありまして、弁護士の三宅正太郎氏も当時私が司法政務次官であつたときに次官をしておりましたが、その人といとこ関係で非常な経理の明るい人でありますし、江口君は仕事を持つていなかつたから、私は学生の服の組合の理事長をいたしておつた当時に、江口君を頼んで昭和十二、三年ごろからずつと戰爭中その方の経理課長をいたしておりました。
ところが、その後これは「新報知」に出ておる祝祭日のものを私の手許にある限り見ましたところが、三宅正太郎さんがこういう問題を取扱つておるのです。
例えば先般の刑法の改正におきましても、三宅正太郎さんが、これは刑法改正案の中で唯一の改惡點であるということを新聞に發表されておるような點、その同じ點で、收野英一博士が、これは酷だというておられました例の罰金の刑を受けましたときに、懲役禁錮の執行猶豫をも取消すことができるという點でございまするが、そういつたような點は、これはどちらがいいのか分らない、罰金の刑を受けたときには、罰金の執行猶豫のみを取消すことができるというようにした
(「その通り」「もうよし」「分つた分つた」「結論を言へ」と呼ぶ者あり)さようなことでございまして、私は法律家でございますが、刑法の関係につきましては、先程中村君が申しましたが、刑法の観点から言いましても、三宅正太郎博士、牧野英一博士などは、今のような姦通といつた関係は民事関係に任さなければいけないというような主張でおられるのでございます。
○公述人(三宅正太郎君) 今のは非常に説明を長くいたせば、恐らくお分りになつたと思うのであります。
三宅正太郎君。
○公述人(三宅正太郎君) 議論なら幾らでもしますが、長くなるますが、それでもいたしますか。